自意識と抽象画

ドフトエフスキーの地下室の手記
自意識過剰な40歳男の独白が続いていてね
読んでいると、どうしても
自分自身の自意識について考えてしまうの

優越感も劣等感もやっかいだけれど
わたしは優越感のほうがつらいな
自分がとても卑しく下劣な存在だとかんじる
それを隠そうとするじぶんもきらい

だから地下室の手記を読んでいると
じぶんがどんどん嫌になる

つらいので、気持ちを軽くするために
試みとして
自分以外の世界中のひとを幸せを祈ってみようとおもったの
わたしがにがてなひとたちも
わたしが知らないところで幸せになればいい
これはかなりうまくいったんだけれども

また読み返すと
自己嫌悪がぶり返すのね
つらい

 
あと最近きづいたの
文学的表現について
事務的表現や哲学的表現との違いを考えると
その差異がとても明確になるなあとおもった

今まで文学風にするコツとして
例えば「湖にうつった光が反射して見えた」
って文章の「湖」「光」「反射」なんかを
それとは別のことばに言い換えると良い
ってことは薄々気づいていたの

比喩だとか象徴だとかだけじゃなくて
ことばの選び方にも芸術性はあるんだなとおもった

なんだか抽象画みたい
文学的表現は絵を描くことに似ているね


suwa

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