地下室の手記
ドフトエフスキー「地下室の手記」
「不幸なねずみは、最初から持ち合わせた醜悪さだけでなく、さまざまな疑問やら疑惑のかたちで、ほかにも、もう山ほど、自分のまわりに醜悪な反吐のようなものを積みあげてしまっている」
「このどぶ泥の成分はといえば、ねずみ自身の疑惑であり、動揺であり……」
ここまで読んで、語り手の独白のなかで
自分自身に喩えているねずみは
誰のなかにも存在する自分自身だよなあとおもったよ。
わたし自身のなかにある自己矛盾と対峙するときに
このねずみのような気持ちになる。
そもそも考える必要があるのかしらともおもえる
生きづらくなるだけなら
何も思い込まずに、のうのうと生きていれば良いじゃないの。
別にそれで誰かに迷惑はかけないし
むしろ、煙たいことを考えて暗いきもちになるほうが
まわりに迷惑よねえ。
考えずにいられないから困るのか。
本のなかで代弁して頂きました。
ふふふー
それをこうやって自分のことばにするの
これで精神的な自由を手にした気分になれるなら
手軽で良いよねえ。
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